40代の私。
私立高出身で付属大学にそのまま進学予定だったのが、高3の途中で突如進路変更。
ろくに受験勉強もせずに大学受験をして、一浪した過去があります。
(その後、希望する大学に進学できました。)
最近、母に、
「こないだ、小学校の友達の〇〇ちゃんに会ったよ~。」
という話をしたら、母から
「あなたが浪人したとき、〇〇ちゃんのお母さんから『女の子なのに、浪人してまで大学に行くなんて…。』と言われてイヤだったわ。」
と言われました。
「いつの話してんの?!」
と思いましたが、それだけ
母にとっては忘れられない腹立たしい言葉だったのでしょう。
私は、友達のお母さんがそんなことを言っていたとは知りませんでしたが、その当時に聞いていたとしても「別にいいじゃん。」って感じで全然平気だったと思うし、今も気にならないです。
それより、そんなことを今だに覚えている母にビックリだし、
私の選択を否定している
と感じて残念でした。
他人の価値観より自分で決めることが大事。
人それぞれ考え方がある。
前提として、浪人せずに現役で大学へ行ける方が何かとベストとは私も思います。
(お金がかかるとか、就職が遅れるとか)
友達のお母さんは、
「浪人してまで大学に行くなんて。」
という価値観ですが、それが悪いわけでも間違っているわけでもないですよね。
「私はそう思う。」という価値観なだけです。
自分の人生。好きにする。
「浪人してまで大学に行くなんて。」と言われたら、
「浪人してまで大学に行きたいと思ったから。」
と18歳の私は答えたと思います。
付属大学に受験なしでそのまま行くこともできましたが、勉強してみたいと思う学科は付属大学にはなく、受験するしかありませんでした。
結果的に浪人したけど、今も昔も全然後悔してないです。
自分の人生なのだから自分のやりたいようにやれば良いと思うし、実際そうしてきたので、時間がかかったり失敗したこともあるけど、ほとんどの理想が叶いました。
(自分の行きたい高校・大学に進学できた・なりたい職業に就けたなど)
母は私の選択を否定している?
子どもの選択を尊重できるか?
母が20年以上前のママ友の言葉をいまだに覚えていて、イヤな?(悔しい?)感情を抱いていることを知って、
子どもが選んだことだから、それでよかった
とは思っていない、いまだに納得できてない、と分かりました。
自分のことは自分で決める。
将来、子どもが選択したことを応援できればいいな、と思います。
人生経験が子どもよりあるだけに、「それは辞めといたら?!」と言いたくなることはあるとは思いますが、
何でも自分で決めればいいよ
という気持ちです。
浪人したから今がある?
良いことも悪いことも過去の出来事があるから、今がある。
「浪人したから、今の生活がある。」と言っても過言ではないかな~と思うんですよね。
浪人した1年のちがいで、
- 大学の友人に出会えなかったかも
- 職場の配属先が変わっていたかも
- 結果⇒夫に出会えなかったかも
- 結果⇒子どもたちにも 〃
- マンションを買ってなかったかも
- セミリタイアしてなかったかも…
と、永遠にかもしれないことが出てきます。
良いことも悪いことも影響し合うんですよね。
どんなときも、
自分のベスト(と思う)を選んでいきたい
まとめ
「他人」の否定的な言葉は気にならない。
「身内」から肯定してもらえない方が悲しいです😢
普段、子どもたちのダメな部分にばかり目が向きがちですが、できないことに「ダメだし」ばかりしたくない。
やってきたこと、できていることに目を向けていきたいですね。
鋼の自己肯定感👇めっちゃ気になる~
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